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『史跡』という関連キーワードがついているイベント・観光情報一覧 ( 該当65件 )

千葉市
【加曽利貝塚】
千葉市
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加曽利貝塚は、約5,000年前から約3,000年前の貝塚で総面積134,500㎡です。ドーナッツ状に盛り上がった直径130mの北貝塚と、馬蹄形で直径170mの南貝塚とが連結し、全国に類をみない、8字形を表している国指定史跡です。過去の調査では住居跡や、土器・石器・骨角に加え、人骨などが発見されています。史跡内には、出土遺物を展示する博物館、貝層断面観覧施設、住居跡群観覧施設のほか復原住居などがあります。
場 所 : 千葉市若葉区桜木8-33-1 国指定史跡 連絡先 : 加曽利貝塚博物館 043-231-0129
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松戸市
【二十世紀梨誕生の地】
松戸市
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二十世紀梨誕生の地は、二十世紀公園となり園内記念碑が建てられています。二十世紀梨の原樹は昭和10年(1935年)12月に国の天然記念物の指定を受けました。惜しくも昭和22年(1957年)に枯死しています。原樹は松戸市立博物館の資料室に保存されています。明治21年~31年(1888年~1898年)にかけて八柱村大橋の松戸覚之助氏が苦心の末に作りあげたものです。品質の良さは全国的に伝播しています。二十世紀梨は松戸市以外に鳥取、島根、岡山各県でも生産されています。
場 所 : 松戸市ニ十世紀が丘梨元町32 市指定史跡 連絡先 : 松戸市商工観光課 047-366-7327
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市原市
【上総国分寺跡】
市原市
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上総国分寺跡は、奈良時代の中頃(1250年位前)に、国の平和と繁栄を祈るため聖武天皇の命により全国60ケ所余りに建てられた国立寺院跡の一つです。寺域13.9万㎡に及び、武蔵国分寺跡に次ぐ規模で、市原市が古代上総国の政治・文化の中心地であったことを象徴する歴史的遺産です。発掘調査により金堂・講堂・塔・回廊・門などの建物跡の他、瓦窯跡や附属施設が検出されています。現地では塔の礎石や江戸時代以降に建てられた国分寺薬師堂・仁王門、菊間新皇塚古墳から移築した宝篋印塔(応安5年銘)等を見ることができます。
場 所 : 市原市惣社1-7-1他 国指定史跡 連絡先 : 市原市ふるさと文化課 0436-98-0472
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流山市
【一茶双樹記念館】
流山市
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一茶双樹記念館は、流山市指定の記念物(史跡)です。流山市は、江戸時代の俳人・小林一茶の第2のふるさとと言われております。流山の俳人・秋元双樹(みりん醸造家)と深い親交がありました。小林一茶寄寓の地に、秋元本家、双樹亭、一茶庵、枯山水の庭園などを復元した双樹亭があります。一茶庵や双樹亭では、近くを流れる江戸川を一望しながら茶会や句会など開催できます。
場 所 : 流山市流山6-670-1 連絡先 : 一茶双樹記念館 04-7150-5750
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【葛飾県印旛県史跡】
流山市
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葛飾県印旛県史跡は、千葉県庁が千葉に移される前、葛飾県と印旛県の県庁が流山に置かれていたことを記念して昭和53年(1977年)6月に市立博物館が開館した際に建立された記念碑です。明治6年(1873年)6月15日に、印旛県と木更津県が合併して千葉県が誕生しました。
場 所 : 流山市加1-1225-6 連絡先 : 流山市立博物館 04-7159-3434
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我孫子市
【相島芸術文化村】
我孫子市
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我孫子市の最東に位置し、相島の芸術・文化を楽しめる施設です。相島芸術文化村の文化活動の核になっている相島の建物、表門、母屋、2番の倉は、約150年前、9代主信の代に建てられたものです。里山として貴重な森を残す井上家墓山には、古墳、稲荷、墓等の祈り場が残され、野外美術展の出発拠点等になっています。また、国土の歴史的景観に寄与しているものという事で下記の9件が登録有形文化財として登録されました。①主屋、②旧きゅうこしば漉場、③二番土蔵、④新土蔵、⑤表門、⑥裏門、⑦外塀、⑧庭門、⑨庭塀。 施設内の蔵などではイベントを行い、多くのお客でにぎわっています。
場 所 : 我孫子市相島新田1番 相島芸術文化村 連絡先 : 相島芸術文化村 04-7189-2864
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鎌ケ谷市
【下総小金中野牧跡 捕込】
鎌ケ谷市
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下総小金中野牧跡は、江戸幕府が軍事力を誇示し、全国支配を継続する一環として軍馬を安定的に確保するため、設けた小金五牧の1つです。中野牧は、慶長年間(1596~1615)に設置され、明治維新で廃止されるまで存続しました。「捕込」は、放し飼いにされ、半ば野生状態であった野馬を、年に1回集めて捕獲選別する野馬捕りを行う場所で、牧を構成する施設です。江戸幕府の軍事力を支えた軍馬生産を知る上で、貴重な遺跡であるため、平成19年2月6日に国史跡に指定されました。
場 所 : 鎌ケ谷市東中沢2-1下総小金中野牧跡・捕込 連絡先 : 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 047-445-1141
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【下総小金中野牧跡 野馬土手(初富小学校校庭西側所在野馬土手)】
鎌ケ谷市
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野馬土手は、牧を構成する施設の1つで、野馬を捕込へ追い込んだり、野馬が牧外に逃亡し、農作物を食い荒らすことを防ぐために、牧の中や牧と村との境に設けられました。初富小学校の校庭西側に所在する野馬土手は、長さが172m残っています。平成19年2月6日に捕込とともに国史跡に指定されました。
場 所 : 鎌ケ谷市東初富1-20(鎌ケ谷市立初富小学校)下総小金中野牧跡・野馬土手 連絡先 : 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 047-445-1141
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成田市
【利生塔礎石群】
成田市
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利生塔は、暦応4年(1341年)に光明天皇が足利尊氏の弟直義に命じ建立されています。現在の礎石群は江戸時代に再建されたもので、明治35年(1902年)の暴風により倒壊し、現在は礎のみ残っています。大慈恩寺の創建は天平宝字5年(761年)に鑑真和尚によるものと寺伝にありますが、実際には鎌倉時代末に律宗僧眞源によって建立されたと考えられています。成田市の新勝寺よりも80年早いとされています。昭和51年(1976年)11月1日に成田市の史跡に指定されました。
場 所 : 成田市吉岡183-1 大慈恩寺 連絡先 : 大慈恩寺 0476-73-5634
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【小野派一刀流祖・二代目の墓】
成田市
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小野派一刀流祖・小野忠明、二代目・小野忠常の墓は、成田高校北側の丘陵内にあります。小野派一刀流は、小野忠明により開かれ柳生流と共に徳川将軍家に採用され隆盛を誇りました。流祖・小野忠明は房州御子神村(現南房総市丸山町)の生まれです。一刀流開祖・伊藤一刀斎景久に入門し、一刀流の正統を伝え、徳川家康に仕えました。元和3年(1617年)に成田市寺台の地頭となり、寛永5年(1628年)に死去しました。二代目小野忠常は、三代将軍徳川家光の指南番となり小野派一刀流の隆盛に大きく貢献し、寛政5年(1665年)に没しました。
場 所 : 成田市寺台574 永興寺 県指定史跡 連絡先 : 成田市生涯学習課 0476-20-1534
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佐倉市
【佐倉順天堂記念館】
佐倉市
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佐倉順天堂記念館は、天保14年(1843年)に佐倉藩主・堀田正睦が招いた蘭医の佐藤泰然が開いた診療所兼蘭医学塾です。「旧佐倉順天堂」として、昭和50年(1975年)に千葉県の指定史跡に指定されました。昭和60年(1985年)からは佐倉順天堂記念館として一般公開しています。館内には順天堂関係の医学資料や門人の遺品などを展示しています。
場 所 : 佐倉市本町81 県指定史跡 連絡先 : 佐倉順天堂記念館 043-485-5017
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八街市
【明治天皇御野立所】
八街市
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明治天皇御野立所は、小間子原とその周辺一帯で近衛兵団が大演習を行った明治15年(1882年)5月に明治天皇が演習を総覧された場所です。昭和10年(1935年)に「史蹟名勝天然記念物保存法」により史蹟に指定されましたが、戦後、指定は取り消されています。
場 所 : 八街市八街へ9-112 明治天皇御野立所 連絡先 : 八街市社会教育課 043-443-1111
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【柳沢牧野馬土手】
八街市
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この野馬土手は、江戸時代の柳沢牧の一部で、勢田方面にあった野馬捕込に野馬をうまく追い込むために造られた「勢子土手」とよばれる土手です。土手の規模は、現状で長さ219m、幅約8m、高さ約2.5mを測ります。築造時期は不明ですが、柳沢牧の運営が始まった寛文2(1662)年以降のものと思われます。各地の野馬土手が消滅していく中で比較的原形をとどめている貴重な野馬土手の一つで、市指定文化財となっています。
場 所 : 八街ろ111-33(交進小学校内) 連絡先 : 八街市社会教育課 043-443-1111
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【小間子牧野馬捕込跡】
八街市
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小間子牧は、江戸幕府が軍用に供する野馬を放牧・管理するために設置した佐倉七牧の一つで、「捕込」とは野馬を追い込んで捕らえ、選別するための重要な施設です。
本捕込跡の築造年代は寛文2(1662)年頃と考えられ、明治7(1874)年までの200年以上にわたって使用され続けました。近世牧を象徴するこの捕込跡は市の指定文化財となっています。
場 所 : 八街市八街へ215-1 他 八街市 連絡先 : 八街市社会教育課 043-443-1111
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印西市
【月影の井】
印西市
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月影の井は、鎌倉の「星影の井」、奥州二本松の「日影の井」とともに「日本三井」の一つといい伝えられています。印西市の北西部にあり、ここから300m西に中世城跡の龍崖城の城跡があります。城主が産湯や行水に使用したともいわれています。昭和43年(1968年)4月25日に印西市の史跡に指定されました。
場 所 : 印西市浦部126-1-2 市指定史跡 連絡先 : 印西市生涯学習課 0476-42-5111
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【上宿古墳】
印西市
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上宿古墳は、木下貝層から切り出した石材を積み上げて造った埋葬のための部屋が良好な状態で残っている古墳です。しかし全体の形は分かっていません。このような横穴式石室と呼ばれる埋葬の部屋を持つ上宿古墳は、7世紀後半に造営された方墳と考えられます。同様な材質、構造の石室を持つ古墳の造営時期と形態が7世紀後半から8世紀前半の方墳といわれていますので同様と考えられます。昭和48年(1973年)1月19日に印西市の史跡に指定されました。
場 所 : 印西市大森地先 市指定史跡 連絡先 : 印西市生涯学習課 0476-42-5111
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【浦部の百庚申】
印西市
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浦部の百庚申は、県道市川印西線(木下街道)沿いに並んでいます。天保10年(1839年)に造立されました。刻像塔10基、文字塔90基からなっています。庚申信仰は、中国の道経[三尸(サンシ)説」に由来するもので体内に棲む三尸という虫が庚申の夜に人が熟睡している間に抜け出し、天帝にその人がした悪事などを告げて寿命を縮めてしまうので、その夜は眠らずに夜を明かし、人々の無病息災や長寿などを祈願するものです。百庚申は、より多くの塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れです。
場 所 : 印西市浦部地先 連絡先 : 印西市生涯学習課 0476-42-5111
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【草深野鹿の碑】
印西市
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草深野鹿の碑は、丸山観音堂境内に建つ市内屈指の歌碑です。この碑は草深出身の香取利彰(朋経)が文政6年(1823年)に建てたもので、高さは1.5mあります。碑の表には藤原貞直の「草深し野辺のまはぎの花妻をこふるをしかも色にいてけり」の歌があり、裏には華笑百合丸(朋経)、松之與清、俳諧歌馬場真顔の歌がそれぞれ一首が刻まれています。
場 所 : 印西市草深920 丸山観音堂 連絡先 : 印西市生涯学習課 0476-42-5111
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【道作古墳群】
印西市
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道作古墳群は、小林牧場から鳥見神社へ向かう山林に散在する古墳です。円墳前方後円墳合わせて約25基があるとされています。古墳は未調査のため、造営年代については明確になっていません。JR成田線小林駅から小林鳥見神社、道作古墳、小林牧場へのコースは市内散策のひとつでもあります。桜の季節には、近郊より多くの人が訪れます。
場 所 : 印西市小林2820 連絡先 : 印西市生涯学習課 0476-42-5111
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白井市
【薬王寺】
白井市
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薬王寺は、創建が大同年間(806~809年)といわれております。平成13年(2001年)3月10日に本堂が新造されました。本尊は阿弥陀如来です。境内には薬師堂を配し近くに観音堂があります。雨乞いの竜神伝説が伝わる千葉県の指定史跡「清戸の泉」の由来が伝わっております。しろい七福神めぐりの弁財天が祀られています。
場 所 : 白井市清戸6 薬王寺 連絡先 : 薬王寺 047-497-0928
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