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『文化財』という関連キーワードがついているイベント・観光情報一覧 ( 該当140件 )

市川市
【真間万葉顕彰碑】
市川市
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真間万葉顕彰碑は、万葉集には真間の手児奈の伝説を詠んだ山部赤人や高橋虫麻呂の歌をはじめ真間の地を歌った10首ほどの歌が載せられています。その歌の中に「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処」(山部赤人)、「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」(高橋虫麻呂)、「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」(読み人知らず)の3首があります。それぞれの歌のゆかりの場所に立てられいるのが3つの真間万葉顕彰碑です。
場 所 : 市川市真間4-7-24 継橋際他 市指定文 連絡先 : 市川市生涯学習振興課 047-334-1658
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【常夜燈】
市川市
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日本橋小網町と行徳河岸の間の航路安全を願い建てられました。現在残るこの常夜灯は、江戸日本橋の西河岸と、蔵屋敷の講中が、成田山に奉納したもので、高さ4.31mの石造りです。
*現在公園整備のため撤去されています。
場 所 : 市川市本行徳34地先 市指定有文 連絡先 : 市川市生涯学習振興課 047-334-1658
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【庚申五層塔】
市川市
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中国の道教から入ってきた庚申信仰は、庚申待ちの風習が日本に伝わったのは平安時代ですが、一般庶民にまで広がったのは室町時代末ごろで、江戸時代になって盛んになり各地に庚申塔が建てられました。人々は道端に病鬼を払うという青面金剛や、猿田彦、庚申の「さる」から転じた庚申猿を彫った石塔を立てました。これが庚申塔です。猿田彦は道案内の神であったため、道祖神ともなって道標の役目を果たし、現在も各地に多種多様 の庚申塔が残っています。
場 所 : 市川市柏井町3-654 市指定文・子安神社 連絡先 : 市川市生涯学習振興課 047-334-1658
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【真間の継ぎ橋】
市川市
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真間の継ぎ橋は、万葉の時代、この地域にたくさんの州があり、その州から州へのかけ橋が継橋だったと考えられています。真間万葉顕彰碑建立の縁となる読み人知らずの歌詞の一部に「真間の継橋やまず通わむ」と詠われています。
場 所 : 市川市真間4-7地先 連絡先 : 市川市生涯学習振興課 047-334-1658
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船橋市
【灯明台】
船橋市
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意富比神社(船橋大神宮)の灯明台は、高さ12mの木造瓦葺の3階建てで、1・2階は和風、3階の灯室は西洋式灯台のデザインを取り入れた六角形のつくりとなっています。明治13年(1880年)10月に地元有志の寄付によって建てられ、付近の会場からは絶好の航路目標でした。海運業者や漁師町の漁業者の信仰を集めてきた意富比神社境内の小高い丘にあり、かつては「浅間山灯明台」と呼ばれました。明治28年(1880年)に廃止されるまで政府公認の私設灯台として活躍し、現存の灯明台としては最大規模のものとなります。
場 所 : 船橋市宮本5-2-1 県指定有文・意富比神社 連絡先 : 意富比神社 047-424-2333
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松戸市
【柳原水閘】
松戸市
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柳原水閘(樋門(ひもん))は、坂川河口に治水のため、明治36年(1903年)11月に着工し翌年37年(1904年)に完成しました。工期は渇水期をねらった僅か6ヶ月の短期間でした。規模はレンガ製で、樋門としてはレンガ製で4連の樋管を持ち、下流側に角落とし付きです。樋門寸法は河川横断方向が(上流側)17,0m、縦断方向が(最大)13m、高さは5mで4,5mの翼壁をもっています。アーテ性状は欠円アーチであり、幅員及び高さ2,15×3,01となっています。赤レンガと自然石を組み合わせた風格のある樋門です。
場 所 : 松戸市下矢切1397 近代化産業遺産・土木遺産 連絡先 : 松戸市社会教育課 047-366-7462
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【木造金剛力士立像】
松戸市
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木造金剛力士立像は、萬満寺の仁王門に安置されている「阿」・「吽」の金剛力士像です。伝承によれば鎌倉時代の仏師・運慶の作といわれています。金剛力士は金剛杵という煩悩を打ち砕く武器を手に持った仏法を守る神のことです。通常、外敵を威嚇する身振りと形相を表す2体が仁王門と呼ばれる山門の左右に配置され伽藍と仏を守っています。萬満寺の木造金剛力士立像はいずれも寄木造りで彩色、玉眼で像高は阿像(向かって右側)が257cm、吽像(向かって左側)が240cmあります。
場 所 : 松戸市馬橋2547 萬満寺 国指定重文 連絡先 : 松戸市社会教育課 047-366-7462
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野田市
【木造阿弥陀如来坐像】
野田市
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木造阿弥陀如来坐像は、常敬寺に安置されています。鎌倉時代後期の作と推定されます。高さ52.8㎝のヒノキの木像です。部材を合わせて造る寄木造りで眼は水晶を裏側からはめ込む玉眼嵌入という技法で作られています。鎌倉時代に流行した宋風様式で堅実な作風を示しており両手の甲を胸の前で対向させた珍しい印相です。昭和53年(1978年)に千葉県の有形文化財に指定されました。
場 所 : 野田市中戸379 常敬寺 県指定有文 連絡先 : 野田市社会教育課 04-7125-1111
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【絹本著色釈迦涅槃図】
野田市
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絹本著色釈迦涅槃図は、晋門寺に保管されています。釈迦沙羅双樹の間で入滅したときの光景を描いたものです。平安時代の涅槃図は釈迦や諸衆を大きく表し動物や背景を省略して表現しています。鎌倉時代以降には釈槃に登場する人物などを経典に忠実に細かく描く傾向になります。「釈迦入滅」を描いた涅槃図は数多くあります。晋門寺所有の絹本著色釈迦涅槃図は釈迦を取り囲み死を悼む弟子や動物たちの姿が経典に忠実に精巧に描写されていることで知られています。
場 所 : 野田市三ケ尾545 晋門寺 県指定有文・晋門寺 連絡先 : 野田市社会教育課 04-7125-1111
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柏市
【車ノ前五輪塔】
柏市
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車ノ前五輪塔は、福萬寺の南側の境外地にある100m四方の森、通称・妙見さまと呼ばれる妙見堂跡地で畑の中に椎の林がこんもりと茂る木陰にひっそりと建っています。総高160㎝の堂々とした塔で笠石が幾分欠けていますが、石質は筑波小田の白色花崗岩で県下有数の五輪塔です。五輪塔には、梵字で四方に空・風・火・水・地をあらわすキャ・カ・ラ・バ・アが彫られていることから、当時この地域を治めた武人の墓として、室町時代初期に建てられたと考えられています。
場 所 : 柏市大井1228 市指定有文 連絡先 : 柏市文化課 04-7191-7403
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市原市
【飯香岡八幡宮の漆塗金銅装神輿】
市原市
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飯香岡八幡宮には、中世・近世・現代の3代にわたり、それぞれ一の宮、二の宮、三の宮、若宮の神輿が4基3組計12基あります。このうち中世の神輿は、照り起りのある宝形造りの屋根や基台周辺の瑞垣を板玉垣とするなど室町時代の建築・工芸様式をよく示しています。一の宮の天井板から発見された墨書と神社所蔵文書に、至徳元年(1384年)に源義満によって4基揃いで鎌倉において制作され、寄進されたことが記録されています。大きさは一の宮が一番大きく、基台の幅1.14m、高さ1.65mで屋根の4面に菊と桐の紋を交互に浮彫しています。
場 所 : 市原市八幡1057-1 県指定有文・飯香岡八幡宮 連絡先 : 飯香岡八幡宮 0436-41-2072
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【市原市埋蔵文化財調査センター】
市原市
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市原市埋蔵文化財調査センターは、平成2年(1990年)4月1日に設立されました。遺跡の発掘調査と研究、出土遺物の収蔵・保管を行い、代表的遺物の一部を展示しています。当センターは、文化財に対する理解の増進と保護思想の普及啓発に努めて、市原市の文化発展につくすことを目的としています。市民向けの活動としては、特別展示(不定期)や考古学講座、アクセサリーづくりなどの体験教室を行っています。
Webサイト:http://www.city.ichihara.chiba.jp/~maibun/index.htm
場 所 : 市原市能満1489 市原市埋蔵文化財調査センター 連絡先 : 市原市埋蔵文化財調査センター 0436-41-9000
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【小湊鉄道蒸気機関車】
市原市
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現在、小湊鉄道には3輛の蒸気機関車が保存されております。3輛のうち2輛は6輪連結10輪タンク機関車で、大正13年小湊鉄道開業に向けて、アメリカから輸入した57776号、57777号であり、現在保存されているボールドウィン製の最後の機関車で昭和31年まで使用されていました。学術的価値が高いとされています。残り1輛はイギリスのベィヤーピーコック製で明治27年に製造されたものを、当時の日本鉄道が輸入し、昭和21年に小湊鉄道が国鉄より払い下げ、昭和25年まで使用されました。尚、五井~上総中野間の運転に要した時間は約2時間石炭消費量は約2トンであった。
場 所 : 市原市五井中央東1-1-2 小湊鉄道五井駅構内 連絡先 : 小湊鉄道運輸課 0436-21-6771
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流山市
【東福寺】
流山市
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東福寺は、弘法大師が開山したといわれ由緒ある真言宗の寺です。古い歴史を持つだけに流山市指定の文化財が数多くあります。
場 所 : 流山市鰭ヶ崎1303 東福寺 連絡先 : 東福寺 04-7158-0021
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【安蒜家板石塔婆】
流山市
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板石塔婆は、鎌倉、室町、南北朝時代にかけて全国各地で造られた中世の供養塔です。一般に板碑と呼ばれる板状の石でつくられた塔婆で、作製年代を知る貴重な資料です。安蒜家の板碑は武蔵型板碑(埼玉県秩父各地で産出される緑泥片岩で造られた板碑)と呼ばれ、鎌倉時代末期に建てられました。高さは124㎝、幅は31㎝で、碑面には阿弥陀三尊を表した梵字や碑を建てた日付が刻まれています。2基の板碑はこの地域で最も均整のとれた形をしております。昭和55年(980年)2月22日に千葉県の有形文化財に指定されました。
場 所 : 流山市西深井67-1 県指定有文 連絡先 : 流山市立博物館 04-7159-3434
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【諏訪神社例祭】
流山市
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諏訪神社例祭は、神輿が2基町内を練り歩き、出店も出て多くの参拝客や見物客が訪れ賑わいます。諏訪神社の創建は、大同2年(807年)に高市皇子(天智天皇の皇子)の子孫が移住し氏神となりました。昔から「おすわ様」として市民に親しまれています。祭神は、健御名方富命(タケミナカタトミノミコト)です。ひっそりとした境内には、流山市の文化財に指定された本殿、拝殿、社殿が建ち並びます。また、源義家鞍掛之枩の碑、源義家献馬のブロンズ像、天保13年(1842年)建造の諏訪塔道標、享保19年(1734年)建造の稲荷塔があります。
場 所 : 流山市駒木655 諏訪神社 連絡先 : 諏訪神社 04-7154-7377
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我孫子市
【正泉寺の文化財】
我孫子市
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正泉寺は、弘長3年(1263年)、北条時頼の娘桐姫(法性尼)の開基と伝えられています。江戸時代以降、女人成仏の霊場として信仰を集めました。寺内にある女人成仏血盆出現図などの絵画3点と血盆経縁起・紺神金泥血盆経をはじめとする叛木類一式を含む資料は近世の民間信仰を明らかにするものとして貴重です。女人成仏血盆出現図などの絵画3点と血盆経縁起・紺神金泥血盆経などの叛木類一式を含む資料が平成10年(1998年)3月20日に千葉県の文化財(有形民俗)に指定されました。
場 所 : 我孫子市湖北台9-12-36 県指定有文 連絡先 : 我孫子市文化課 04-7185-1583
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鎌ケ谷市
【魚文の句碑】
鎌ケ谷市
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魚文の句碑には、芭蕉俳諧の流れをくむ三級亭魚文が旅の途中、鎌ヶ谷を通ったときに詠んだ句「ひとつ家へ人を吹き込む枯野かな」が刻まれています。碑は木下街道沿いに建立されています。碑の正面には、句文と木下街道の道標、「右木をろし道」・「左中木戸道」の碑文が刻まれています。裏面には、明和元年(1764)武陽産高橋氏建立とあります。当時、重要だった木下街道や宿場に寄せる俳人の心境がうかがえます。句碑は、昭和47年(1972)3月31日に鎌ケ谷市の文化財に指定されました。
場 所 : 鎌ケ谷市東鎌ケ谷1-7 魚文の句碑 連絡先 : 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 047-445-1141
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【鎌ケ谷大仏】
鎌ケ谷市
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鎌ケ谷大仏は、安永5年(1776)に鎌ケ谷宿の富豪、大国屋(福田)文右衛門が祖先の供養のために建立した釈迦如来像です。江戸神田の鋳物師多川主膳に鋳造させた高さ1.8m、台座の高さ60cmの露坐の大仏です。地名、駅名にもなっている鎌ケ谷大仏は、街道を行く人の多くの目にとまります。昭和47年(1972)に鎌ケ谷市の文化財に指定されました。房総の魅力500選に選ばれています。
場 所 : 鎌ケ谷市鎌ケ谷1-5(大仏墓地内) 鎌ケ谷大仏 連絡先 : 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 047-445-1141
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【土地紀念講碑】
鎌ケ谷市
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土地紀念講碑は、開墾50周年を記念して大正7年(1918)に建立され、現在は光圓寺境内に所在します。明治2年(1869)に始まった初富の開墾は、多数の離散者が出たり、土地騒動が起こるなど困難を極めました。その子孫が先祖を偲び励まし合うために土地紀念講を作りました。碑は、昭和50年(1975)1月16日に鎌ケ谷市の文化財に指定されました。
場 所 : 鎌ケ谷市北初富6-1 光圓寺内 光圓寺内 連絡先 : 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 047-445-1141
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