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『碑』という関連キーワードがついているイベント・観光情報一覧  ( 該当34件 )

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松戸市

【野菊の墓文学碑】

松戸市

野菊の墓文学碑は、松戸市下矢切にある西連寺の境内にあります。千葉県が生んだアララギ派の歌人伊藤左千夫(1864~1913年)の処女小説名作「野菊の墓」の一節を刻んでいます。昭和40年(1965年)に地元有志の発案と門弟土屋文明氏の書により建てられました。隣接の野菊苑展望台からは、矢切耕地、江戸川、東京の街並みが見渡せます。矢切の里を背景に、少年と少女の恋物語を描いたこの小説は今でも多くの人に愛読されています。

場  所 : 松戸市下矢切261 西蓮寺境内
連絡先 : 松戸市商工観光課 047-366-7327

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野田市

【処刑場跡】

野田市

処刑場跡には、江戸時代の処刑場で碑が残されています。碑には南無妙法蓮華経と刻まれています。建碑は第19代城主久世広誉のとき享和元年(1801年)に建てられておりますが、刑場がその時にできたのかどうかは定かではありません。昔は小高い土手の上にありましたが土手が削られたため平らな畑地の中にあり、よく整備されています。

場  所 : 野田市納谷2900-2
連絡先 : 野田市社会教育課 04-7125-1111

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【関宿悪水路建設の碑】

野田市

関宿悪水路建設の碑は、幕末期の旧関宿藩の勤王家で、関宿城主・久世家に仕え、弓奉行から用人老中となり経済学者、土木事業家である船橋随庵の遺業をたたえる記念碑です。嘉永元年(1848年)から関宿落しの事業に着手し、嘉永3年(1850年)に随庵が55歳のとき約延長20㎞に及ぶ水路(関宿落堀)の工事をなしとげました。この水路ができてから内水の被害がなくなり米の収穫も増し旧関宿藩の治水墾田に貢献しました。

場  所 : 野田市大字台町66先
連絡先 : 野田市社会教育課 04-7125-1111

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我孫子市

【杉村楚人冠碑】

我孫子市

杉村楚人冠碑は、楚人冠公園内にあります。杉村楚人冠は戦前の朝日新聞の最高幹部で、大正13年(1923年)に我孫子に移住し、昭和20年(1945年)、当地にて死去しました。俳句結社「湖畔吟社」を主催し、地元文化の育成に努めました。観音山という沼を見下ろす高台に楚人冠公園があります。そこに楚人冠を尊敬する「湖畔吟社」の人々の依頼により我孫子の陶芸家河村蜻山が作成した陶製というめずらしい碑が建立されました。

場  所 : 我孫子市緑2-5 緑南作緑地公園内  
連絡先 : 我孫子市教育委員会文化・スポーツ課 04-7185-1583

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【血脇守之助碑】

我孫子市

血脇守之助碑は、手賀沼を見渡せるところに位置しています。血脇守之助は、現在の東京歯科大学の前身、東京歯科医学院を設置し初代理事長になり日本歯学界に不朽の功績を残しました。これをたたえ、師弟一同が戦前に碑を建てました。もともと彼の生地に建てたのですが、現在は手賀沼公園に移しました。また彼は野口英世の育ての親でもありました。

場  所 : 我孫子市若松2 手賀沼公園内  
連絡先 : 我孫子市公園緑地課 04-7185-1542

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【手賀沼殉難教育者之碑】

我孫子市

手賀沼殉難教育者之碑は、戦時下の昭和19年(1944年)秋、女教員錬成会のメンバーが手賀沼を湖北方面より対岸の手賀へ渡る途中に突風をうけ船が転覆し、自学中心主義教育の千浜宗一郎校長ほか17名の教職員が遭難しました。その霊を慰めるために建てられた追悼碑です。我孫子市中里地先の手賀沼に面した台地上にあります。碑は昭和23年(1948年)の命日に建てられました。

場  所 : 我孫子市中里地先  
連絡先 : 我孫子市教育委員会文化・スポーツ課 04-7185-1583

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銚子市

【国木田独歩の碑】

銚子市

国木田独歩の碑は、海鹿島海岸の松林に囲まれた一角に建立されています。巨象の横たわるような形の自然石でつくられています。国木田独歩は銚子市に生まれた詩人であり作家で「武蔵野」や「牛肉と馬鈴薯」等の著書があります。碑には、「なつかしきわが故郷は何処ぞや彼何処にわれは山林の児なりき-山林に自由存すより 日夏耿之助-」と刻まれています。この碑文は詩人日夏耿之介の揮毫によるものといわれています。

場  所 : 銚子市海鹿島町地先
連絡先 : 銚子市観光商工課 0479-24-8932

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【水明楼之址碑】

銚子市

水明楼之址碑は、明治を風靡した文豪・徳富蘆花の30回忌の日に銚子文化遺跡保存会の手により建立されました。建立場所の状況は散策に良い場所です。碑の大きさと知名度の関係で見当たりにくい状況です。

場  所 : 銚子市犬吠埼 銚子市
連絡先 : 銚子市観光商工課 0479-24-8181

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【美加保丸の遭難碑】

銚子市

美加保丸の遭難碑は、暴風雨のため幕府軍艦美加保丸が遭難沈没した碑が建立されています。慶応4年(1868年)8月に、戌辰戦争の過程で幕府の海軍の副総裁・榎本武揚の指揮のもとに北海道へ逃亡を企てた幕府軍艦8隻は銚子沖で暴風雨に遭い、その中で美加保丸が黒生海岸で沈没しました。死者は13人に上り漂着の場に葬られました。目の前には太平洋の素晴らしい景色が広がります。

場  所 : 銚子市黒生町地先 黒生海岸
連絡先 : 銚子市観光商工課 0479-24-8181

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成田市

【市川団十郎 先祖居住の碑】

成田市

市川団十郎先祖居住の碑は、東光寺薬師堂境内にあります。初代市川団十郎は、江戸歌舞伎の荒事の創始者で成田市幡谷出身の堀越重蔵の子として江戸に生まれました。幼名は海老蔵と名乗り、14才で初舞台を踏みました。のちに市川家歌舞伎18番となる「鳴神」「暫」「勧進帳」などの原型になるものを演じたり、三升屋の名前で脚本も書いていました。神仏への信仰は厚く、特に成田山新勝寺に対しては自ら「成田不動明」を舞台で演じたり屋号を成田屋と称するなどきわめて深い関係にありました。

場  所 : 成田市幡谷1045 東光寺  
連絡先 : 成田市生涯学習課 0476-20-1534

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【獣医学実地教育発祥地の碑】

成田市

明治8年(1875年)に内務郷大久保利通が下総牧羊場を建設しました。その後、明治13年(1880年)に下総牧羊場と取香種畜場が合併して治21年(1889年)に三里塚に移りました。後に下総種畜場となり獣医学実施教育の場となりました。昭和44年(1969年)新東京国際空港を建設のため閉場されました。獣医学実地教育発祥地の碑が三里塚記念公園内にあります。

場  所 : 成田市三里塚御料1-34 三里塚記念公園
連絡先 : 成田市生涯学習課 0476-20-1534

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印西市

【海野作兵衛の頌徳碑】

印西市

海野作兵衛の頌徳碑は、弁天川の関枠橋の橋際にあります。海野作兵衛は、手賀沼開発の先駆者で江戸時代初期に、江戸小田原町(現在の日本橋)の諸大名に出入りする鮮魚御用商人でした。家財を売り払い、膨大な資金を調達、手賀沼開拓や小林、笠神(現在の本埜村)を経て印旛沼に流れ込む水路を築造しました。これにより231町歩(約229ha)もの水田が生まれました。「利根川の東遷」にともない手賀沼や印旛沼周辺でも新田の開発が盛んとなりました。手賀沼周辺では、この事業を興したのが海野作兵衛ら17名の町民です。

場  所 : 印西市発作地先 印西市発作地先
連絡先 : 印西市経済政策課 0476-42-5111

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茂原市

【荻生狙徠勉学の地】

茂原市

荻生狙徠の地は、JR外房線本納駅から約500mの地点に位置し昭和50年(1975年)11月14日に千葉県の史跡として指定されました。指定地に黒御影石の碑が建てられています。荻生狙徠は、寛文6年(1666年)江戸二番町に生まれ、14歳の時、父方庵が時の将軍徳川綱吉の咎をうけ、家族とともに母の実家のあるこの地に移り住みました。荻生狙徠は、ここで林羅山の著「大学解」(狙徠の「政談」には大学諺解とある)などの漢籍を学び、後に広く群書に通じた大儒者となる基礎を築きました。

場  所 : 茂原市本納2976-1 県指定史跡
連絡先 : 茂原市生涯学習課 0475-20-1559

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東金市

【久我政右衛門の筆塚の碑】

東金市

久我政右衛門の筆塚の碑は、師の使用した筆を弟子たちが供養した記念碑ですが、師の生存中に建立されたという異例のものです。デザインも円筒形の石を台上に寝かせたユニ-クなものとなっています。久我政右衛門(1743年~1826年)は、江戸時代中期の儒学者です。同時に手習いの師匠として近隣の子弟を教えながら俳句の先達としても活躍した人物です。平成3年(1991年)6月1日に東金市の史跡に指定されました。

場  所 : 東金市台方1485 久我家 市指定史跡
連絡先 : 東金市生涯学習課 0475-50-1187

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【木刀塚碑】

東金市

木刀塚碑は、宝暦4年(1754年)6月17日に建立されています。碑文によれば、小野派一刀流の開祖小野忠明は、慶長年間に徳川秀忠に仕え、その戦功で、封地を松之郷に賜っています。以後、代々将軍家の御指南役を続けた名家です。第五代小野忠一は、門弟との剣の道に精進したが、その激しさに、木刀が折れて山を成したといわれました。門弟達はこれを捨て難く、木刀塚とあがめ、徳川忠一の死後17回忌のとき塚を建立しています。明治9年(1876年)11月17日にこの碑は本松寺内に移されています。

場  所 : 東金市松之郷1258-1 本松寺内 市指定史跡
連絡先 : 東金市生涯学習課 0475-50-1187

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旭市

【濤川魁香翁の碑】

旭市

濤川魁香翁の碑は、旭市蛇園にある生家の庭先にあります。本名・濤川惣助は、「将来日本の代表する輸出品の一つは七宝焼」と考え、当時衰退気味の七宝焼の技術改良に打ち込み、海外に優麗・微細の技術と心豊かな日本美を広め世界から称賛され、作品は現在も迎賓館の壁を飾り多くの国賓の目を楽しませております。明治16年(1883年)アムステルダムの博覧会、明治18年(1885年)ロンドンの博覧会では金碑を、明治22年(1889年)のパリ大博覧会では名誉大賞を獲得し世界の濤川となりました。

場  所 : 旭市蛇園236-1
連絡先 : 旭市生涯学習課 0479-55-5728

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【海上胤平の碑】

旭市

海上胤平の碑は、生前の大正3年(1914年)に東郷平八郎の書で「海上胤平大人碑」と刻まれた仙台石です。文政12年(1829年)に海上郡三川村犬林(現在の旭市犬林)に生まれました。わが国一流の歌人であり歌道評論家です。明治、大正時代を通じ第一線で歌作と評論活動を続けました。若くして北辰一刀流を千葉周作に学び20才で奥義を極めました。江戸時代は剣術指南となり明治になっては県の役人を勤めながら歌を学び続け、55才の時官を辞して東京神田に椎園塾を開きました。「東京大家14家集評論」「椎園家集」の著作があります。

場  所 : 旭市三川3825 福蔵寺境内
連絡先 : 旭市生涯学習課 0479-55-5728

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匝瑳市

【鈴木康文の碑】

匝瑳市

鈴木康文の碑は、海岸の見える防風林の中あります。鈴木康文は、明治29年(1896年)に匝瑳市(旧野栄町)に生まれました。14才から作歌を始め、吉植庄亮らと歌誌「橄欖」を発行、運営委員長となりました。その後、日本歌人クラブ名誉会員、千葉県歌人クラブの顧問となりました。歌集は「続九十九里」を頂点として海と農村を写実に歌い続けました。「一列の青波しろく 秀たちつつ そりかしくまも走り続くる」の碑は、昭和53年(1978年)に建立されました。

場  所 : 匝瑳市野手17147-10
連絡先 : 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

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大網白里町

【十枝雄三の碑】

大網白里町

十枝雄三の碑は、十枝邸内にあります。十枝雄三氏は明治6年(1873年)に生まれました。昭和18年(1943年)から利根川の水を香取、匝瑳、山武、長生(4郡)の水田の藩漑用水として利用する壮大な事業に着手し、22年間の歳月を要してこの両総用水を完成しました。これにより旱魃が解消され、約2万5千ヘクタールの水田の稲の収穫が保証されることになりました。この業績を称えて昭和31年(1956年)に名誉町民の第一号に推載されました。十枝雄三氏は昭和31年(1956年)10月に生涯を閉じました。

場  所 : 山武郡大網白里町北吉田758 十枝邸
連絡先 : 大網白里町教育委員会生涯学習課生涯学習班 0475-70-0380

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【石井雙石の顕彰碑】

大網白里町

石井雙石は、昭和38年(1963年)に紫綬褒章、昭和40年(1965年)に勲四等旭日小綬章を授与されました。これ等の業績を称え顕彰碑が建立されました。石井雙石は明治6年(1873年)に大網白里町四天木で生まれました。33才の時、篆刻家の五代目浜村蔵六に入門、約30年間篆刻を学び昭和46年(1971年)10月に99才で生涯を閉じています。在命中は文字の美しさから政府関係の印章など重要な刻印を残しています。資料は大多喜城分館(千葉県立中央博物館)に展示してあります。 

場  所 : 山武郡大網白里町北吉田184-1  
連絡先 : 大網白里町教育委員会生涯学習課生涯学習班 0475-70-0380

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